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10月24日午後から11月7日午前の間に、別形式の掲示板に投稿していただいた内容は、以下のページにてご確認いただけます
http://jofuku-net.com/modules/bbs/

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[88] 徐福と天孫降臨 by : 木村正治 at : 2008/12/04(Thu) 14:38

「太陽の道」は1983年、小川光三(大和の原像)が発見し、NHKが取材確認し、太陽祭祀に関係することから、こう名付けられて今では認定されていると言えます。何故なら、このラインが伊勢神宮の設立に深く関わっていたからです。これを証明したのが佐藤忍(伊勢神宮とトコヨの古代史)です。今のところ文献上、伊勢神宮の設立は西暦447年に遡れますので、「太陽の道」は少なくともそれ以前になります。ライン上の斎宮址は巫女の住まいでもあり、伊勢神宮の仮宮とも言えるでしょう。このラインがすぐさま徐福のものであるとは言えませんが、徐福は太陽祭祀の「斉」出身ですし、「太陽の道」と太陽祭祀の伊勢神宮の関係が、中国思想によって証明されたのですから、徐福とその一行の子孫に関わるぐらいは言っても良いのではないでしょうか。
 日本神話(古事記、日本書紀)は各地の神話を集めたと言われますが、神社の謂れを集めたとも言えるでしょうか。歴史が伝承され、脚色されて伝説になり、神話になる、この過程はまた逆にもなります。
 ですから徐福像を探れば、どうしても神話に踏み込まねばなりませんし、神社の歴史を知る必要があります。
 神話を探って、徐福は、アメノミナカヌシ、ニニギノミコト、ニギハヤヒノミコト、神武天皇、スクナヒコナノミコト、オオヤマツミノミコト、とか比定されています。
 「徐福と日本神話」を初めてインターネットで検索してみたところ、「徐福と天孫降臨」と題した、鹿児島大学の野添氏の講演論文が出ていましたので紹介します。氏は中国側の徐福=神武説を踏まえた上で、徐福はニニギノミコトであるという仮説を発表されています。稲、人骨、DNA、などから展開されています。益田宗児氏の説に近く大変興味深く読みました。kagoshima-w-rc.jp/jof.html

[87] 「太陽の道」 by : 前田秀一 at : 2008/12/04(Thu) 02:24

 不勉強の故かもしれませんが、「太陽の道」という言葉は初めてお聞きしました。
 2003年10月24日、堺市・連雲港市友好提携20周年記念事業として連雲港市から劉永忠市長、張良群先生(基調講演)ほか11名の方々のご参加を得てシンポジウム「中国文化セミナー”徐福”」を開催しました。その際、「徐福が求めた不老長寿の仙薬とは?」についてご講演いただいた角山 榮先生(元堺市博物館長、和歌山大学名誉教授)が、仮説との前置きをされて神武東征のストーリーに触れられました。
 そのルートの検証から徐福が求めたものの一つとして「辰砂」(硫化水銀)を挙げられ、驚きとともにユニークな発想に来場者の方々に角度を変えた関心を提供されたことを思い出しております。
 シンポジウムの後、講演内容と日本全国伝承地の皆さんからいただいたご寄稿をまとめ報告書400部を制作発行いたしましたが、その反響が大きく、国内はもとより東方書店(東京)や北九州書店を通して台湾、韓国からもご注文をいただき瞬く間になくなったことで驚きも増幅し徐福のテーマの大きさを実感しました。
 生前(2003年)、内藤大典先生から、堺は連雲港と海でつながった友好都市だから、堺の港にも徐福一団が漂着したと信じて史跡を探すようお勧めいただきましたが、残念ながら地べたを這った調査にも手ごたえがありませんでした。
 むしろ、この機会に得られた友人たちとの交流の絆を太くすることを目的として、交流のあり方を方向転換するようになりました。

[86] 堺と「太陽の道」 by : 木村正治 at : 2008/12/02(Tue) 11:21

前田様の素晴らしい旅の模様をホームページでも拝見いたしました。孔子廟や花果山には、ぜひ行って見たいと想います。当然、徐福村には行かねばなりません。
 張羅群さんのお家に招かれた模様は、大変羨ましくもあります。2006年北京でお会いし、この十月の佐賀徐福国際シンポジュウムに参加した折は、氏の著書を二冊サイン入りで頂きました。その上、佐賀の帰り道、私の降りる駅、串本駅の30分手前から偶然、私を見かけた張羅群さんがずーと一緒に、デッキに立ったまま、言葉の通じない状況のまま、見送っていただきました。最後は硬い握手を交わしてお別れしましたことを思い出しました。氏は新宮祭りに行かれる途中だったのでしょう。
 前田さんは、「太陽の道」をご存知でしょうか?失礼ながらお尋ねします。私は十年来、それを研究しています。そこから徐福にたどり着きました。
 「太陽の道」は伊勢神宮の斎宮や神島、美杉、室生寺、長谷寺、檜原、三輪、箸墓、そして堺の鳳神社、日置荘(応神)を通って、淡路島伊勢の森・舟木に至る、北緯34度32分の東西線ですが、そのさらに西が、前田さんが記されているように、徐福村や西安・始皇帝陵にいたっていることは、私も早くから注目していましたし、北京でも発表しました。これを西から見れば始皇帝の意思の道、東から見れば徐福の故郷を慕う道とは、捉えられないか?です。 
 「太陽の道」はさらに「聖なるライン」や潮岬・夏至太陽祭祀場と連携し、大いなる太陽祭祀の姿を顕しますが、此処に古代中国思想、徐福一行に関連するものが見えてくると、私は想っています。
 堺と徐福を考える上で、こういったことも考慮くだされば幸甚です。
 失礼があればお許しください。

[85] 友好25周年式典と曲阜、泰山紀行記‏‏‏‏ by : 前田秀一 at : 2008/12/02(Tue) 02:02

 堺市の友好都市・連雲港市との提携25周年を祝う会が連雲港市で開催され参加しました。
 その機会に合わせて、かねて行ってみたいと思っていました 念願の孔子生誕・終焉の地「曲阜」および歴第72皇帝が「封禅の儀」を執り行った「泰山」へ旅行しました。
 堺にゆかりの無い「徐福」のテーマではつながりに欠けることとなり、もう少し身近なテーマが望ましいのではとの考えから、今年初めに連雲港市の「茶の文明」と堺の「茶の文化」を融合した交流のあり方をご提案して参りましたが、まだまだその期が塾し切れず、式典との兼ね合わせの時間的な切迫もあって、今回は噛み合わせることができませんでした。
 しかし、なんとか将来に向けた展望は持ち続けて参りたいと考え、これまでの5年間の活動の経緯をこの紀行記(ホームページ)にリンクさせてみました。
 以下のアドレスより、一度お立ちよりください。

[84] 投稿の内容と神話へ by : 木村正治 at : 2008/11/29(Sat) 10:07

逵さんお手数をかけました。
 私もこのページが盛んになるように知人に声掛けをしています。またそんな気持ちで投稿していますが、徐福の真実を知っていこう、徐福を盛りたてて行こう、徐福のネットワークを広げていこう、徐福の痕跡がこんな所に(地域、地名、文献)ある、こう思う、こう考える、質問がある、連絡がある、要するに徐福に関することなら何でもいいから書いて見る、投稿しようとこんな風でいいかと思うんです。
 さて、これから日本神話に封じ込められたとも見られる、徐福の痕跡を私ながらに拾い出してみようと思います。同様の皆様がおられましたら、やられてみませんか?

[83] 手続きしました by : horuhoru at : 2008/11/28(Fri) 20:17

木村さん、あいにく我が家に在庫がなくなりましたので、出版社に注文しました。直接届くと思いますのでよろしくお願いします。

[82] 「徐福論-今を生きる伝説」 by : 木村正治 at : 2008/11/26(Wed) 13:31

ジュンク堂書店にアクセスしましたが、うまくいきません。私のパソコン程度はこんなものです。お手数をおかけします。

[81] ありがとうございます by : horuhoru at : 2008/11/26(Wed) 00:46

木村さん、拙著についてお問い合わせありがとうございます。
ジュンク堂書店が → http://www.junkudo.co.jp/
今秋からすべての注文に送料無料で対応しています。ご負担少なく購入できるかと思います。(書店在庫になくても出版元にありますのでご安心ください)うまくいかなかったらご連絡ください。

前田さん、中国・連雲港からも前田さん方の訪中を喜ぶ連絡が入っています。嬉しいことですね。

[80] 映画「徐福さん」のご紹介‐2 by : 前田秀一 at : 2008/11/25(Tue) 13:05

 岡本監督へのお口添えありがとうございます。

 この機会を通して多くの懐かしい方々のお名前を拝見しておりますが、これほどまでに掘り下げた議論が展開されていることにさらに驚いております。
 「徐福伝説」にゆかりの無い堺で、友好提携25年の意義は何だろうかと反問する中で、逵さんとの出会いに恵まれ、ご配慮をいただいて全国の伝承地のみなさんおよび研究者の皆さんをご紹介いただきました。
 友好都市として市民交流に結び付くテーマがないだろうかとの視点で模索しながら連雲港市への訪問は今回(10月30日〜11月3日)を含めて4回になり、その姿は「変容」に値するものとなりつつあります。
 中でも、第5回「徐福祭」(200年9月29日〜10月3日)に佐賀県徐福会・村岡会長さんのお伴をして参加した際に、開会式にて連雲港市徐福研究会・孫栄章会長が「徐福は、中国4000年の歴史にあって、河川文明から海洋文明に転換するきっかけをつくった人」と位置付けられたお話は忘れることができません。
 当時の様子など、ホームページに写真を主体に報告書を掲載しております。以下のアドレスより、是非、一度お立ち寄りください。

[79] 「徐福論‐今を生きる伝説」を by : 木村正治 at : 2008/11/25(Tue) 11:52

逵さんの「徐福論‐今を生きる伝説」を一冊、着払いでお送り頂けないでしょうか。もちろん出来れば、お手間でなければですが。

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