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10月24日午後から11月7日午前の間に、別形式の掲示板に投稿していただいた内容は、以下のページにてご確認いただけます
http://jofuku-net.com/modules/bbs/

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[98] 賛成 by : 一徐福ファン at : 2008/12/15(Mon) 00:53

開設以来このページをずっと見ていました。
山口さん意見大賛成です。
学問的な徐福研究のページになっていくことをお祈りしています。

[97] 鳥居さん天野川沿いの前方後円墳 by : 木村正治 at : 2008/12/13(Sat) 14:38

鳥居さんで失礼します。昨日の朝日新聞で見ました。枚方市の天野川沿い、前方後円墳が箸墓古墳と同型同類であるという発表でしたね。中が見れないのは残念ですけれど、七夕に強烈な応援があらわれたように感じました。一度見たいものです。

[96] もう一度考えましょう by : 山口泰郎 at : 2008/12/13(Sat) 08:51

私も逵さんの意見に同感です。投稿したくない掲示板になっているような気がします。覗くだけです。あまりにも?対1のやりとり、私的な内容のやりとりが多すぎるような気がします。こういうやり取りは、お互いのHPかメールでと思います。
もう一度掲示板のあり方を考えて見ましょう。

[95] 静観 by : 木村正治 at : 2008/12/11(Thu) 12:21

それではあまりにも狭すぎます。しばらく静観します。

[94] 資料について by : horuhoru at : 2008/12/10(Wed) 23:28

木村さん、大変申し訳ありませんが、私はこういう話題を出していただくためにこの掲示板を開いたのではありません。
このページを作るにあたっては、徐福伝説を伝説研究の中に位置づけたいという私の長年の想いがあって、それを多くの方々が応援してくださって、ようやく実現に至った経緯があります。

こうした話題が連続して載せられることに大変心痛めています。本心で記されているのかにも疑問を持ちます。どうぞ疑問はその疑問に答えてくれるようなページで話題にしてください。

きついことを言って申し訳ありませんが、実は多くの方がご覧になりながら書き込めない、その気にならない掲示板だといわれることにかなりまいっています。

[93] もう一つ教えて下さい by : 木村正治 at : 2008/12/10(Wed) 19:21

国立図書館から消えた、持ち去られたという徐福の古書、資料は相変わらず行方知れずでしょうか? 何かしらの情報とかありませんか?

[92] 知りません! by : horuhoru at : 2008/12/07(Sun) 10:48

私がこれまで調べた資料で、そのような記述は見つかっていませんし、見つかるとも思えません。
資料の信憑性については常に厳しい目で臨みたいものです。

[91] 八十八回の皇室の金立神社参拝 by : 木村正治 at : 2008/12/06(Sat) 17:28

どなたか知っている人がいれば教えて下さい。
 「古書の内容で、宇多天皇をはじめ、花山、白河、鳥羽、崇徳、後白河、亀山など九人の天皇が、徐福を唯一の祭神とする金立神社を参拝した回数は合計八十八回にものぼる」とある古書を知りませんかと、ある人に聞かれましたが私は知りませんでした。それで古書文献の所在、名前など教えて頂ければ真に有り難く存じます。

[90] 「太陽の道」その2 by : 前田秀一 at : 2008/12/05(Fri) 22:20

 お話を伺いますと思い当たる節があります。
 ある人から日向の神様と出雲の神様のお話をお聞きし、我がまち・堺の鳳大社を含めた神社に関わる地歴を説かれたことがあります。しかし、堺市民としての日常的な土着性からしますと遠い神話の世界は生活実感から少し縁遠く市民活動のテーマとしての位置付けを得るに至っておりません。
 もともと、堺市と連雲港市は、当初から友好都市としての出会いがあったわけではありません。当初は貿易港として「泉北港」が建設省(当時)の施策により対象とされたのが、文化交流の潮流に従い中核都市として堺が指名され1983年12月3日に改めて友好都市提携したという経緯がありました。従って、本来的なゆかり(縁)があっての友好都市提携ではなかったため、20年も経過しながら堺市民の99%が友好都市としての実態を知ることなく経過しました。
 ご承知の通り、堺は、中世のころ、自治・自由都市として栄え、世界の商業都市して言われ、堺のまちを治めた会合衆(えごうしゅう:納屋衆)の一人であった千利休により「茶の湯」が大成されたところであります。従いまして、日常的には「一期一会」の心を重んじております。
 このような風土中から、「茶」を「CHA」と読み替えて、“またとない出会い”(「一期一会」)の機会を“ふれあい”Communicationと“もてなし”Hospitalityの心で相互に“人間関係を形成”Associateし世界の平和に貢献してゆこうという発想から、連雲港市との20年間にわたる友好関係のあり方を見直し、将来に活かしてゆく道を探る中で堺の弥生文化の成立に通じるかもしれない「徐福」のテーマに出会いました。
 しかし、「徐福」の伝承・伝説に直接的なゆかりの見出せない堺市民の中にあっては、どんな方法であれ「徐福」のテーマは、少し飛躍がありすぎるということを実感しました。
 このような経緯を踏まえて、「徐福」のテーマの変容を追い求めるのではなく、ここに至って、むしろ、友好都市・連雲港市民との交流の底辺拡大のあり方を求める本来的な目的に立ち返り、連雲港市の「茶の文明」と堺市の「茶の文化」を融合した「CHA(茶)の心」の実践を提言しております(『中外除副研究』第二編投稿〔発行:連雲港市徐福研究所ほか)〕。

[89] 本が着きました by : 木村正治 at : 2008/12/05(Fri) 11:42

逵さん有難うございました。
 本が今日新典社からつきました。丁寧な本橋さまの挨拶文入りで恐縮しました。代金は早速振り込みます。また今から直に読ませて頂きます。

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