「遠くに行きたい」を見た後で
テレビに登場していた波田須区長の矢賀さんに「見ました」と電話を入れました。
矢賀(やが)という姓名がこの地区には多いのですが、同じ漢字で「矢賀(やいか)」という集落名があります。
これは徐福がこの地にたどりついたとき、まだこの地に地名がなく、徐福が「矢賀(やいか)」と名付けたのだと波田須で調査を始めたころにお聞きしました。
雑談の中で「私には徐福の知識がないから」と電話口でおっしゃる矢賀さんに、「徐福のことをこの地で伝えてきたことそのものが大切なのであって、知識なんて全然関係ないです」と話しました。これまで熊野の徐福に関わる方に会うとたいてい「徐福の知識がない」とおっしゃいます。
徐福の知識ってなんでしょう?そう思わせているものがあるとするなら、それが伝説の伝承には無視できないところなのかもしれません。