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Event Report : 2015年5月23-24日 徐福長寿館開館20周年・徐福東渡2225周年「“徐福を語る”フォーラムin佐賀」

 2015年5月23日、自民党総務会長・二階俊博さんを団長とする3000人余の訪中団が北京を訪れ、人民大会堂で盛大な日中友好交流大会がおこなわれたことが、翌日の新聞等で報道されました。その「3000人」という人数に触れた記事は、私がみた限りではみつけることができませんでしたが、徐福伝説を知っている方でしたら、きっとその数に気づいたのではないかと思います。
 秦の時代、徐福が不死薬を求めて東海に船出したとき、その船には童男童女が同乗し、その数は数千人(『史記』「始皇帝本紀」)、あるいは三千人(『史記』「淮南衡山列伝」)とも言われています。以来、東海を渡る三千人は徐福伝説を思い起こさせます。いったい今回はどんな3000人だったのだろうと、訪中団に参加した和歌山県新宮市商工観光課のTさんに尋ねたところ、和歌山県は団長の地元ということもあり、約240名ほどが参加、市町の首長、県市の議員、他に二階さんの後援会からの参加も多かったようで、徐福伝説伝承地の新宮市は市長とTさんが参加したということでした。
 表でこうした大々的な交流行事がおこなわれた同じとき、日本ではもう一つの日中友好交流行事がありました。5月23日・24日の2日にわたる徐福長寿館開館20周年・徐福東渡2225周年「“徐福を語る”フォーラムin佐賀」です。

 事前に佐賀県徐福会に問い合わせると、大会前夜の22日晩には中国・韓国から参加者が到着しているので、佐賀県徐福会が交流会を開きますとのこと、私もその時間に合わせて出かけました。
 会場は円卓になっており、グループごとに席が分かれていましたが、会場に入ると懐かしい顔、顔、顔。みな再会を喜び、思い思いに記念写真を撮っていました。2012年9月に徐福東渡2222周年記念として開催されるはずだった中国浙江省象山県での象山徐福国際会議が、開催3日前の9月13日に中止が決まり、以来、徐福をテーマに日中韓が大きなイベントで会うことがこれまでなかったのです。今回の大会参加者約200名のうち、中国からは40名もの方が参加していました。
 なかでも中国徐福会会長・張雲方さんは、北京での日中友好交流大会に出席するように言われていたようで、ぎりぎりまで参加できないようだったのですが、直前にようやく許可がおりたとのことで、今大会の開催とともに、ご自身が参加できたことを大変喜んでいらっしゃいました。2012年の中止以来、なかなか再開できない中国での大会開催についても、なんとか来年には実施したいと中国からの参加者とともに、策を練っているようでした。
 23日午後からは「徐福を語るフォーラム」が開催され、日中韓から数名の研究発表がありました。私は今回、浙江省の滋渓市徐福研究会から頼まれていたことがありました。それはこの会場で、「東アジア徐福文化伝承地分布地図」作成に関して、参加者のみなさんにお願いをすることでした。この伝承地分布地図というのは、中国・韓国・日本の徐福伝承地を写真とともに、一枚の表裏の地図で紹介したものです。本来はこの大会を記念して、当日配布するために作成し始めたものだったようですが、事前に地図や原稿のチェックを頼まれ、私もいくつかの誤りを指摘したのですが、そうした声を集めるうちに、急いで未完成品を配布するよりも、この大会に集まってくる方たちの声をかたちにし、納得できるものにしたいという考えに変わったようです。その日本の意見の集約の窓口となるよう、滋渓市徐福研究会から依頼を受けました。
 これは20年前の徐福伝説を取り囲む環境から考えると、大きな違いです。これまで中国では多くの徐福に関する本が書かれてきましたが、私たちの目が通らないうちに完成してしまうため、日本についての記述では間違いも多くありました。それは中国だけでなく、日本でも韓国でも同様だったと思います。今回、そうしたこれまでの経験をふまえ、この大会を校正の場と考えて意見をもらい、後日完成品を届けたいという熱意に、私も本当に使えるものにするために協力したいという気持ちになりました。会場にいた方はその場でチェックをし、参加していない伝承地には、私が送付し、意見をいただくことになりました。また、この分布図制作には、徐福の集まりとは全く関係のないところで、薬用蘭を開発している寧波易中禾生物技術有限公司という会社が出資を申し出てくださったということでした。
 さて、その日の晩は佐賀市主催の交流会だったのですが、会場が小さかったため、中韓の訪日団だけが招待となり、日本国内からの参加者は自主的に交流会をおこないました。どちらの会も筑後川のエツを食べました。エツは徐福がこの地に上陸する際、川べりの葦の葉が落ち、エツとなって導いたとこの地の徐福伝説では伝えています。この時期にしか食べることのできない徐福ゆかりの食を楽しみました。

 2日目、「シンポジウム 徐福東渡を科学する」がおこなわれました。午前のスタートの記念講演は西谷正さん(九州大名誉教授)「稲作と支石墓‐北部九州への伝来ルート」、その後、徐福論文コンクールの表彰式と最優秀賞の橋本進さん(元東京商船大教授)「徐福の航海を科学する」の講演がありました。午後は鼎談「徐福東渡を巡る当時の東アジア情勢」と題し、西谷正さん・菅谷文則さん(奈良県立橿原考古学研究所所長)・高島忠平さん(学校法人旭学園理事長・佐賀県徐福会副理事長)が登壇、その後、徐福論文特別寄稿者による講演、そして最後にパネルディスカッション「徐福東渡と交流・交易“人・モノ・技術”」と題し、コーディネーターを高島忠平さん、パネリストに考古学の立場から菅谷文則さん、航海学の立場から橋本進さん、形質人類学の立場から松下孝幸さん(土井ヶ浜人類学ミュージアム名誉館長)がたち、徐福の時代に思いを馳せました。
 このラインナップから見てもお気付きの通り、佐賀では吉野ヶ里遺跡発掘に関わった方々が佐賀県徐福会を支えているため、毎回、他では聞くことのできない、時には徐福ファンをがっかりさせるような意見も登場します。こうした地域の特徴も、今後各地が徐福伝説をどのように地域の中に生かしていくかを考えるときには重要なことなのかもしれません。私自身は民俗学の立場から徐福を見続けているため、そこに集まる人たちそのものにも興味をもっています。

 大会が盛会に終わり、既に各地から、大会のときにお願いした伝承地分布図の写真の差し替え希望や貴重な意見が集まってきています。私も各地の思いを正確に伝える責任を感じています。




by:
horuhoru
at:
2015-6-25 16:50:00
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