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10月24日午後から11月7日午前の間に、別形式の掲示板に投稿していただいた内容は、以下のページにてご確認いただけます
http://jofuku-net.com/modules/bbs/

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[36] 徐福船団の童男童女の数 by : 高木豊博 at : 2008/10/18(Sat) 12:34

徐福が東海の三神山を目指して船出した時に、その船団に乗り合わせた童男童女の数については中国側でいろいろな記録があります。それを簡単に整理すると次のようになります。それぞれ違っていて、どう解釈するのが良いのでしょうか。

「史記」秦始皇本紀(前219年)項(前1世紀)………童男女、 童男女数千人
「史記」淮南衝山列伝(前210年)項………名男子若振女、振男女三千人
「史記」封禅書……… 童男女
「漢書」列伝 列伝第十五伍被(1世紀)………童男女三千人
「漢書」郊祀志………多童男童女
「漢書」地理志………千童県
三国志「呉書」呉主権(1世紀)……… 童男童女数千人
「後漢書」(5世紀)……… 童男童女数千人
釈義楚「釈氏六帖」(又名「義楚六帖」)(10世紀)………五百童男五百童女
山東地方史「斉乗」(元代)……… 童男女二千人

これを見ると、「史記」淮南衝山列伝(前210年)項の名男子若振女、振男女三千人(良家の男子または元気のいい女、元気のいい男女三千人)が全体数の基本ではないかと思われることです。その中に「漢書」地理志や「義楚六帖」のように童男童女がそれぞれ五百人ずついて、それが「漢書」列伝の影響が大きく三千人の童男童女がいたとの誤解が拡がっていったように思われます。

私としては、航海をしたり実際の地で開墾に従事するには30才前までの元気な若者が必要とされていて(童男童女ではそれが無理です)、三千人の内にそれらの人達が二千人いて、残り千人が童男童女だったと考えるのが合理的でしょう。童男童女を教育し育てていくには、1人の子供に対して1人以上の大人が必要です。「振」は元気なという意味です。百工の人達はこれに加わり、大きな船団が構成されました。

前2世紀から東南アジアと中国を結び活躍するカンボジアの崑崙船は、長さ25m程度で50人の船員に200人程度の乗客が乗ったようです。そうすると千人が船員とすると船の数は全部で20艘となります。これが4千人程の人々を運んだのでしょう。

[35] 逵さん、 by : 井上筑前 at : 2008/10/18(Sat) 07:32

写真の掲載許可いただいてありがとうございました。以下のURLに載せました。お暇があったら覗いてください。またいろいろ教えて下さいね。

[34] 村岡先生・奥野先生 おめでとうございます by : 鈴木 秀 at : 2008/10/17(Fri) 23:00

村岡先生、奥野先生 おめでとうございます。
 逵先生が書いておられますように、お二人は長年の徐福研究と徐福を通して日中友好交流に尽くされた功績が受賞につながったものと思います。
 また、今回の奥野先生の栄誉証書受賞に関しては、多くの諸先生方のご尽力とご協力をいただいたものと深く感謝いたします。
 いま、新宮では奥野先生を中心に徐福研究をしておりますが、まだまだ奥の深いことがありわからないことがたくさんあります。各先生方からも課題を投げかけられています。
 私たちは多くの疑問を抱えています。次々と記録やゆかりの場所が消えてしまいました。
 これらを掘り起こすことは並大抵のことだはありませんが、「徐福さん」のことを、今できる限り記録しておかないと次代につなぐことができないのです。私たち(新宮)の徐福研究は次の時代に引き継ぎことでもあるのです。

 お二人の受賞は、徐福を研究・勉強する者にとってもうれしい出来事です。これからも健康にお気をつけて徐福研究、日中友好交流を続けていただきたいと思います。

 <追:逵先生へ>
 これからも、徐福研究の先頭を走ってください。また徐福研究の
最新の情報をお願いします。
 
 

[33] 『徐福さん』の夢は無限に広がる by : 鳥居貞義 at : 2008/10/17(Fri) 18:05

佐賀・徐福国際シンポジウムが画期的な大会として大成功したことを徐福研究仲間と共に喜びたいと思います。

私にも発表の機会を頂きましたこと、ご支援頂きました関係者の皆様に感謝致しております。
私の『伝説から歴史へ』の思いを伝えることが出来ましたこと、そして大勢の旧知の徐福仲間に会えたことも誠に喜ばしいことでした。

村岡央麻実行委員長の英断で初めて同時通訳が行われたことは画期的なことで時間の節約により、より多くの議論が出来たことと思います。通訳の仕事は大変難しいスキルが要求されるもので、テーマである徐福伝説のことは勿論、異文化、発言者の意図を瞬時に理解しなければならない点、至難の技と思います。又、発言者もある程度通訳し易いように整理して発言する必要があるかもしれません。佐賀・徐福国際シンポジュームでの活用が嚆矢となったことで徐福シンポジュームの歴史に残ることと思います。
その結果、通訳者の中からも徐福研究仲間が出れば一石二鳥、二重の幸せです。

「東アジア徐福ネットワーク」につきましても逵志保さんの方でトヨタ財団より支援を受けてホームページをアップしてくれたことも情報の一元化という意味で徐福研究に進歩をもたらすものと期待しています。

上記いずれも試行錯誤が続くと思いますが、利用者全員の創意と工夫で育てていって欲しいと願っています。

次の課題としてはテーマ別の個別分化会による討論の場を持つことを提唱したいと考えています。具体的には稲作、人骨の比較、五穀、百工、道男童女、武具(弓、弩)、銭(半両銭)、竹簡、度量衡等々のテーマに分けて情報や研究結果に基づいて議論を深め、将来は夫々斯界の学者を抱きこんで議論をすることでわが国でも歴史的事実として学問の対象になるものと考えています。
『伝説から歴史へ』、それが私の願いです。更には中国徐福会の曲玉維さんが中国で開催した国際会議で提唱していたように世界文化遺産になれば複数国に跨る世界文化遺産として正に画期的なものになります。いつの日かそれを見届ける希望を持って、先ずは不老長寿の仙薬を探すことにしましょう。

[32] 逵さんに望むこと by : 高木豊博 at : 2008/10/17(Fri) 15:39

逵志保さんへ

木村さんへの返答の中で、「私には私の研究の関心と課題があります。どうぞご自身の関心と研究は人にゆだねず、ご自身で進めていってください。」と述べられていますが、これはブロブの運営管理者の態度ではないと思います。

今まで著述されたものを拝見しますと、逵さんは徐福の伝説は民俗的な研究として興味があるが、歴史的徐福そのものには興味がないように見受けられます。

今後の徐福研究に求められるものは、仲良し会として伝説を発掘しそれでOKという時代が終わり、徐福が実際にどの場所に上陸しどうゆう影響を与えたかなどについて、船、航海技術、埋設文化財、五穀、海流、不老不死の薬草等々について幅広くしかし細かな技術的な検討をすることです。日中で意見を異にして、論争ということが起こる事も十分あります。

ブロブの運営管理者には、佐賀でお会いされた井上氏のように(彼は邪馬台国の分野での最も有名な運営管理者です)どんなつまらない意見にも真摯に受け答えして、皆さんに喜ばれ、もっと研究してみようという意欲を起こさせるような知識や包容力が求められています。

今私のように邪馬台国の研究をしていた人達が徐々に徐福に入ってきています。この方々は、今までの徐福の関係者とは色合いが違っています。これを包括していく必要があります。従って逵さんには、どのような民俗研究対象以外にも意見を聴く耳を大きくして頂き、ご自分も技術的な分野も追求していく姿勢のある名運営管理者になられることを望みます。

[31] お二人の表彰を更新しました by : 逵志保 at : 2008/10/17(Fri) 00:54

井上さん、ご心配いただいたように多くの方とお会いすることができました。中には面白い習慣(?)で、大会の出席確認のためにわざと名刺交換しておく方も多くあります。新しくお会いした方のほとんどはインプットしましたのでご安心ください。
写真の件、私のものに関しては問題ありません。
それから佐賀県徐福会の方がかわいそうなので一言、茂在寅男さんは文章の内容からわかるように今回の大会にご自身が提出された原稿です。無断掲載ではありません。ただ、編集作業の段階で抜けてしまった方もあったかもしれません。これも私は佐賀県徐福会の者ではありませんが、遠くから見ていて決して意図的なものではないことはわかります。理解いただきたいと思います。
木村さん、リップサービスをしてはいけないと思うので一言。実は木村さんに限らず「あなたの研究のために」とこれまでも多くのこうした提案をいただいてきました。しかし私には私の研究の関心と課題があります。どうぞご自身の関心と研究は人にゆだねず、ご自身で進めていってください。お互い頑張りましょう。

[30] さすが佐賀 村岡様はじめ皆様大盛会お喜び申し上げます by : 木村 正治 at : 2008/10/16(Thu) 11:23

串本潮岬 古代の巨大夏至太陽祭祀場・弥生構造船出土を啓蒙する木村正治です。佐賀では「徐福鶴化」の詩吟をし王一帆さんに舞って頂きました。徐福では北京、慈渓、神奈川、新宮、富士、佐賀と巡ってきました。次は徳之島、連運港を志望しています。鳥居さん奥野さん池上さん田島さん益田さん前田さん張良群さんには随分とお世話になりました。辻(失礼)さんにご無理をお願いします。太陽祭祀から迫る徐福、2000年前の日本唯一弥生の構造船、串本湾古座から移住した徐福の子孫(牛久保密談記)を研究範囲に入れてください。

[29] お疲れ様でした。 by : 井上筑前 at : 2008/10/16(Thu) 07:36

シンポジウムで高木さんから逵さん、鳥居さんに紹介頂いた大阪の筑前です。シンポジウムお疲れ様でした。逵さんは、多くの方と名刺交換して、もう誰が誰やら判らないのではと心配しています。

学問的に徐福の上陸地を突き止めるには、今の環境下では少し難しいような気もしますが、高木さんが仰るように「土井ケ浜」も候補地の一つでしょう。というより、徐福船団は公開中にバラバラになって日本中に上陸したと考える方が合理的です。いずれにしてもこれからの研究・考察が楽しみではあります。

逵さん、今回のイベントで撮影させていただいた写真を私のHPにも使わせていただきたいと思いますのでご了解下さい。(一緒に写して貰った写真とか。)
そうそう吉野ヶ里散策で茂在寅男先生と一緒でした。94歳というご高齢にもかかわらず、背広にネクタイ姿で矍鑠としておられました。シンポジウムのテキストに先生の投降が載っていたのでお見せしたら、全然ご存じありませんでしたが、「いやぁ、無断でも載せて貰えるのはありがたいこってす。」と仰っていました。実るほど垂れた稲穂のような気がして、エライ先生だなと思いましたよ。

皆さん、またどこかでお目にかかりましょう。

[28] 佐賀・徐福国際シンポジウム報告、更新しました by : 逵志保 at : 2008/10/16(Thu) 01:18

お待たせしました。ようやく更新しました。
このページを御覧くださっている多くの方と佐賀でお会いすることができました。
まだまだ時間はかかりますが、このページもまた出会いの場となるよう作り上げていきたいと思います。
よろしくお願いします。

それから「先生」はやめて、お互い「さん」づけでいきませんか?

[27] 掲示板の統合 by : 徐福友好塾 鳥居貞義 at : 2008/10/07(Tue) 16:16

志保先生のご尽力で共有できる徐福伝説のホームページに掲示板
<http://xufu-net.com/modules/bxBBS/viewbbs.php?bbs_id=1>が立ちあがり、順調に活用されているようですので、徐福友好塾のホームページ掲示板< http://bbs1.nazca.co.jp/21/jyofuku3/ >はクローズし、上記の共有する国際掲示板(※)に統合させて頂きます。
永らくのご利用誠にありがとうございました。
この提案は佐賀・徐福国際シンポジュームで提案する情報の国際共有及び共有掲示板[15]に投稿した内容に基づくものです。尚、 
※新しい掲示板は「東アジア徐福ネットワーク」又は「徐福東アジアネットワーク」と呼称することを提案します。

徐福友好塾 代表 鳥居貞義

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