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10月24日午後から11月7日午前の間に、別形式の掲示板に投稿していただいた内容は、以下のページにてご確認いただけます
http://jofuku-net.com/modules/bbs/

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[183] 「おくりびと」から古代舟葬等、死生観へ by : 木村正治 at : 2009/04/03(Fri) 13:58

オスカー賞「おくりびと」を見ました。
  おそらく他人と感じ方は違うと思います。
 新人が葬儀の仕事に就く時の戸惑い、言うに言われぬ体験、周囲の反対は、同じように経験してきました。
 小さい時、女と逃げ自分を捨てた父親を恨んでいる主役、顔も覚えていない。ただ手にあるのは、幼心の思いを交換した川原の丸石、父親がくれたのはボール大、子供があげたのはウズラの卵大、
 時は移り、納棺師の仕事も身に付いてきた。
そこへ偶然、父親の死が告げられる。うらぶれた港町でひっそり身を隠すように生き、そしてさびしく死んでいた。
 行かないと言い張っている彼を、周囲は無理矢理にいかせる。
ただゴミのように処理されようとする父親の遺体。彼はそれを見てようやく心を翻す。納棺師の自分が遺体を処置すると。
 丁寧に湯灌をし、顔を整え、衣を着せようとすると、父親の手から、白いウズラの卵大の丸石がこぼれ落ちる。子は、はじめて小石に込められた親心をさとる。
 そして仕事に反対していた妻の手に、妊娠している妻のお腹の子にと石を抱かす。
 ここで私は思わず落涙した。
こうした心情をもとに、古代の死生観、舟葬に込められた意味を考えてみたい。

[182] モンゴルの徐福 by : 木村正治 at : 2009/04/02(Thu) 11:51

2006年6月、鳥居貞義さんに引率されて、初めて徐福関係のセミナー「北京徐福国際セミナー」に参加出来た。
そこでは「潮岬遺跡」の発表をさせてもらったり、「徐福霧のかなたへ」の作者、程天良と話が出来たり、
その本の訳者、池上正治さんに出会えたり、徐福の子孫と話したり、真に感動的な出会いが多くあった。
それよりもなによりも、鳥居龍蔵の足跡を辿る、北京から内モンゴルの赤峰、カラチンの旅、
そしてヤリツアボキの居城、遼の太祖陵や、幾つかの博物館を見学させてもらったもらったことは、真に貴重な体験であった。その博物館の王館長が徐福に関心をもっていたことを、その時、不思議に思ったが、今、古地図を見ながら、中国歴史を改めて学んでいると、合点がいき、全てが繋がってきたのである。
またバスが構内を走り、世界の人種が集まる、それは広い北京大学を、呉教授夫妻に案内して頂き、
 鳥居さん、岡本さんと素晴らしい歴史の文物を見せてもらったことは何物にも代え得ない経験であった。
 (鳥居貞義で検索できます)。
 想えば、私が潮岬夏至太陽祭祀遺跡から、徐福の世界に足を踏み入れたのは、
 鳥居さん監修の「徐福さん」を、新宮の奥野利雄さんに紹介されたことがきっかけであった。
この場を借りて鳥居さんと奥野さんに謝意を表したい。
 本当に有難うございました。

[181] 避秦に見覚えが? by : 木村正治 at : 2009/03/31(Tue) 15:26

「避秦徐福祠」の避秦には見覚えがある。
新宮 阿須賀神社の無学祖元の詩碑
 献香於紀州熊野霊祠
 「先生採薬未曾回
  故国山河幾度埃
  今日一香聊寄遠
  老僧亦為避秦来」
 に由来するのではないか?

[180] 世界図「徐福祠」 by : 木村正治 at : 2009/03/31(Tue) 09:50

 ほとんど地図ばかりの本、300ページを読んだ?というより見ました。
 このような古地図を見るのは、私にとって新しい世界です。12、3世紀頃から吹き荒れる蒙古の風、日本へも鎌倉時代には、元寇が押し寄せ、幸い台風によって壊滅させられた。
 しかし中国、朝鮮、東欧を飲み込んだモンゴル帝国の文化政策は、次第に日本も感化していく。
 その過程、覇権の中枢では、版図のための世界地図が形成されている。
 まさに「モンゴル帝国が生んだ世界図」なのである。
生まれた時期は1300から1400年、
 ただし、その胎動期の歴史文化、知識が大事にされたから、世界図の中に「徐福祠」が記された。
 祠とは偉人、賢人を祀る謂いである。
 それだけ世界版図を志したモンゴル帝国にとっても徐福の存在は大きかったといえる。
 具体的には「混一彊理歴代国都之図」「東南海、西南海夷図」に、「徐福祠 長門」、熊本 妙本寺図に、「避秦徐福祠」と書かれている。

[179] 徐福の古地図 by : 木村正治 at : 2009/03/25(Wed) 11:04

 何が縁となるやら、どういう風の吹き回しか、高木豊博さんから、徐福の古地図を送っていただきました。
 逵さんと同じものだと思います。
欲しいとは想っていましたが頼めずにいて、ある日、突然メールで送られてきました。
 徐福が縁でこういうこともある。誠に有難いことです。
 この欄を借りて感謝の意を表します。再び高木さんが此処に戻られることを願いつつ。
 この古地図は2007年、日本経済新聞出版社出版の「モンゴル帝国が生んだ世界図」宮紀子著に載せられているようです。
 下書きには「日本国立公文書館蔵」、「米国国会図書館蔵」とあり、権威ある古地図とされます。古代の何時か明示されていませんので、その点をもう少し知りたくて、本を探し取り寄せる手配をしました。
 とにかく「徐福門関赤間関」と山口県あたりに記されています。
  徐福関係者は一日も早く見るべしと思います。

[178] 潮岬遺跡の見学者 by : 木村正治 at : 2009/03/21(Sat) 12:08

やっと会社の決算を終えました。
 潮岬遺跡神話や舟葬の続きを未だ、投稿できずにいます。
 ただ3月23日には、関東から潮岬遺跡の見学に来られる方がいらっしゃるので、遺跡の掃除やら資料の纏めやらで忙しく、それが終ってからになりそうです。
 お互い、人の言に左右されるされることなく、徐福の事のみを案じ、信ずるままに発表していきたいと思います。

[177] 管理人の方へ by : なんちゃって at : 2009/03/16(Mon) 03:58

まことに申し訳ありません。私の書き込みはあまりにも不適切なのでよろしければ消しておいてください。本当に申し訳ございませんでした。

[176] ただの酔っ払いです。 by : なんちゃって! at : 2009/03/16(Mon) 03:48

酔っ払いのたわごとですから気にしないでください。変な書き込みしてすみません。

[175] なんちゃって! by : なーんちゃって! at : 2009/03/15(Sun) 22:01

皆さんがあんまりどよーんとしているのでふたたび出てくることにしました。え?あまりに早すぎろって?右傾化している人に捕まったら話すことも話せません!本当に話すことを聞きたかったらそれなりに努力してください!覚悟が足りません。こちらもまだまだ育てる子供がいるのですからそんなのに捉まったら悔やんでも悔やみきれません。知りたい人は努力しましょう。自分のアドレス位公開しましょう。そうしてくれたらいくらでも公開してあげます。その代わり公開された後にコロンブスの卵みたいなことは言わないでくださいね!

[174] グエーピコ、グエピコ。 by : グエピコ at : 2009/03/14(Sat) 00:03

人には残念ながら思想、信条というのがあります。それから外れたら相手を責め始めます。この物語を始めてるにあたっては私なりにどうしたら皆さんに受け入れていただける文章で表現できるだろうかと試行錯誤しましたがやはり皆に公開してはいけない情報みたいです。今の世の中個人情報やコンプライアンスは当り前ですからね。しかるにやはりこの場からは消えることにします。リクエストがあればひょっとしたら出てくるかもしれませんが、その時には皆さんで対応を協議してください。大変重たい話です。ひょっとしたらキリスト以上に日本中びっくりするかもしれません。それではさようなら。

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